【こうやって乗り切ってきた!】私が看護師をやめたくなったときにやってきたこと

【こうやって乗り切ってきた!】私が看護師をやめたくなったときにやってきたこと

看護部長 笠原さん【1年持つとは思わなかった】

仕事を続けてこられたのはなぜですか?

他人と自分も感じ方にはズレがある。

 

だから対話が大事。

 

対話から「心が通う」「人を知る」
この楽しみを知ってしまったから
今も続けてます。 

 

 

 

 

 

今もし仕事を続けられるか
どうか悩んでいる看護師さんがいるならば
「こんな私でもやってくれたのよ」
といってあげたいですね。

 

看護学生の頃や、糖尿病に特化した内科病棟で
働いていた新人時代を振り返ると、
いわゆる「できない」とレッテルを貼られているようなナースでした。

 

いまだから言えますけども(笑)。

 

新人時代は、患者さんのベッドサイドで居眠りししまったり、
薬を間違えてしまったり・・・。

 

先輩からは「遅い」と注意されるし、
もう毎日辞めたいと思っていました。

 

それでも就職して1年たち、
自分なりには努力してよく頑張って乗り越えたなあと思いました。

 

ところが、先輩から「1年持つとは思わなかった」と言われて。。。

 

それはそれでびっくりしましたよ。

 

「じゃやめちゃおうか」

 

という思いがなかったわけではありませんが、

 

自分なりにしている努力やを持っていることって、
言葉にして伝えなければ、
わかってもらえないものなんだということにも気づきました。

 

そのからは積極的に先輩に質問したり、
話したりするようにしたんです。

 

そうするうちに先輩たちからも気にかけてもらえるようになって、
1年目と2年目とでは随分周囲の止め方が変わりました。

 

看護部総看護師長 西村さん【人との関わりに興味を持ち続けましょう】

仕事を続けてこられたのはなぜですか?

看護を通して関わった人は
いつまでたっても忘れない。
辛くても楽しくても
その先に人生があったから!
看護という仕事が好きです。 

 

 

 

 

私は看護学生時代に出産を見たり、
子供と接したりした経験が忘れられなくて、助産師になりました。

 

また、後に神奈川県看護教育大学校に「面白そう」と思って入学しましたが、
そこでもっとも学んだのは交流分析を基礎とする人間関係です。

 

交流分析については、卒業後も研究会を10年以上続け、
人と人との関わりについて学んできました。

 

学ぶ中で、患者さんにとっての人間関係、
私たちと患者さんとの関係、

 

職場での人間関係、すべての根幹が母子関係にあることがわかり、
仕事を通して母子関係を良くしていきたいとの思いで働き続けて気ました。

 

助産師の仕事で特に楽しかったのは
東京都が辰巳国際水泳場というプールを作ったとき、

 

病院に依頼が来て関わった、マタニティスイミングですね。

 

お腹の大きな妊婦さんが水中で体を動かしたり、
潜って息をこらえて腹式呼吸を行ったりというものです。

 

わたしたちの仕事は、妊婦さんがプールに入る前に検診をして、
水に入ってもいいかどうかを判断するというものでした。

 

その際
「お腹が少しあるようなんだけれども・・・」
「お腹が大きくなりすぎているような気がするけど・・・」

 

といった不安を口にする方に、
検診をして「大丈夫」といってあげると
リラックスされるんです。

 

人から承認されることも妊婦さんにとっては大切だということがよくわかりました。

 

また、そうして承認されてゆったりとした気持ちでいると、

 

出産後の子供との関わりにも良い影響があると思うのです。

 

私にとっても、母親学級のような学習の場とは違って、
妊婦さん達と一緒にプールに入って体を動かすのはとても楽しいものでした。

 

看護部長 山下さん【学ぶ組織をつくりたい】

仕事を続けてこられたのはなぜですか?

支えてくれる家族と喜び合える仲間、
そして自分のモチベーションを
高めてくれる仕事があるからです。

 

 

 

もう一度学びたい

 

10年前までは、長く看護教員をしていました。
それまで専門学校を卒業してからナースした働いたのは4年間。

 

短い期間ではありますが、
振り返ると本当に多くの経験をさせてもらったように思います。

 

その頃の忘れられない経験があります。
一つは学生で初めて病院実習をした時のことです。

 

上顎ガンの患者さんを担当しました。
この患者さんは顔の上半分を手術で切除しておられて、

 

学生の私にとってはちょっと驚くような状態だったのですが
「びっくりしたでしょう?」と逆に私を気遣い
何かと優しく声をかけてくださいました。

 

ご自身が傍目に辛い状況の中でもちゃんと生活しておられ、
そして相手を気づかえる、その強さに衝撃を受けたのです。

 

「患者さんときちんと向き合って行こう」
と思わされました。

 

また就職支てすぐの頃、重傷病棟で受け持ったある患者さんも忘れられません。
この方は喉が渇いて仕方ないと訴えられるのですが、
水分制限があり、私もどうしたらよいか困っていました。

 

するとその患者さんは何と氷枕の水を飲んでしまわれたのです。
このときは自分の無力さをとても感じました。

 

その数日後に亡くなられ、

 

死後の処置を1人でなんとか学校で習ったことを思い出しながら行いました。

 

患者さんの死に出会うこと初めてでしたが、怖いという思いもなく、
とにかく必死で、ご遺体に声をかけながらケアしたのを今でもまざまざと思い出します。

 

当時働いていた筑波大学付属病院はとても勉強熱心で、
アメリカで看護を学んできた先輩方がおられ、
論文をみんなで読んで実践にどうつなげるかを考える場がありました。

 

私が学んだ学校は現場で通用する実践力をとことん鍛えてくれましたが、
この勉強会によって、自分はこれまであまり考える看護ができていなかったのではと
目を開かされ「もっと勉強したい」と進学を考えるようになったです。

 

それで当時はまだ認定などのコースもなく大学も少なかったため、
教員を目指していたわけではないのですが、
日本看護協会看護研修学校の教員養成課程に入学しました。

 

教員養成課程で臨床を見直す

教員養成課程では、教員としてのノウハウをよりも、
1人のナースとして看護をどうとらえるかを学んだと思います。

 

レポート内容について、「あなたの看護の考え方はここが良い」というように
具体的に評価していただくことで、
自分自身の看護を振り返る事ができましたし、

 

病院での看護研修では、現場でナースとして働いてた時とは異なる視点で、
看護という仕組みを見ることができて新鮮でした。

 

養成課程で1年間学んだ後は臨床に戻るつもりでしたが、
指導していただいた先生から勧められ、教員として働くこととなりました。

 

何しろまだ20代と若かったので学生との距離も近く、
また、特に実習に連れて行った際、
学生たちが看護の面白さを発見していく様子を
見られるのがとても楽しかったですね。

 

授業ではどうやって根拠を伝え、
看護実践に生かす思考過程を学んでもらうかを考えて工夫していました。

 

学生が「わかった!」といってくれるのが、
またやりがいでもありました。

 

そのあと茨城県立つくば看護専門学校の立ち上げを
手伝わないかと声をかけていただいて、
準備室で1年間、看護学校を1から作る仕事をさせてもらいました。

 

教室のデザインから、どんなカリキュラムにするかまで決めていくのは
大変でしたが、面白い仕事でした。

 

学ぶ風土を作る

この学校では10年間教えました。

 

でも40歳前になると、それまでは学生の気持ちがよくわかるつもりだったのに、
どうも違うかもしれない・・・と思うようになり、
「長く教員でいすぎたかも」と、
今度こそ臨床に戻ろうという気持ちが高まりました。

 

それで縁あって専門学校の同系列である
当院の教育担当副看護部長として働くこととなったのです。

 

とは言っても、現場ナースの教育プロセスを知らないため、
最初は病棟で師長として兼務で働かせてもらいました。

 

病棟の3分の1のナースがかつての教え子たちで、
今度は逆に現場のことを1から教えてもらいましたね。

 

こうした働いてみると、臨床と教育現場での考え方の違いを実感し、
この間をつなぐ教育を病院でやろうというのが私のテーマになりました。

 

学生実習の指導者を育てたり、新人指導の仕方を先輩ナースに教えたりしつつ、
現場の人たちが経験を実力として身につけていけるよう、
管理者・専門看護師・スタッフそれぞれが育っていく仕組み作りに注力してきました。

 

当院はもともと学ぶことに手間も費用も惜しまない風土がありますし、

 

私が1人では背負いきれないことも副看護部長たちや専門看護師、
師長たちがうまくサポートしてくれるおかげで、
さらに学びやすい組織になってきているのでは内かと思っています。

 

こうした仕組みの中で、若い方達には、
自分なりの目標を決めて学ぶ姿勢を身につけていって欲しいと思います。

 

 

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